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2021年 今後の予定

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12 /31 2021
2021年も頑張っていきましょう!

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高校演劇の始まりは何か(中編)

高校演劇
03 /10 2021
(前回)高校演劇の始まりは何か(前編)



 前回は高校演劇に関する記述を見てきました。2つの参考文献でともに前提とされていたのは戦時中に学校において演劇ができない、禁止されていたと扱われていたことです。

 学校で演劇が禁止されていたとはどういう状況だったのでしょうか?実を言えば高校演劇に相当する戦前の中等教育現場における演劇に関する資料は私は見つけられていないのです。
部活動自体は明治期から学校で行われており、例えば高校野球であれば戦前から記録や活動実態もある程度まとめられています。他の運動部も関連していくつか触れられていた覚えがあります。
また大正期演劇の文献で、旧制高校の学生が観劇に来ていた記述を見た覚えがあります。タイトル等を控えるのを忘れてしまったので書くべきではないかもしれませんが、そもそも旧制高校は現在の大学に相当する高等教育であり、またニュアンスが変わってきます。

 では何が手掛かりになるでしょうか。ここで視点を学校の中でも高校などの中等教育から初等教育における演劇に変えてみましょう。主に取り上げるのは小学校における学芸会の歴史についてです。学芸会について取り上げる理由は教育と演劇に関する分野で歴史的な整理が特になされている事項になるためです。研究が進んでいるのは近代日本の教育現場において演劇が学芸会から導入されていったためでしょう。小原圀芳によって「学校劇」と名付けられ大正期に全国へ広まっていきました。

畠山保彦「学校劇と学芸会の今・むかし」『演劇と教育』694(2017),4-8 
から学校劇が広まった大正末期から昭和10年代までの記述をまとめてみましょう。

大正13年に文部大臣から「学校劇禁止の訓令」が出され、学校劇は一時衰退します。
しかし下火になった中でも昭和2年頃に東京の公立小学校教師が中心となり「学校劇研究会」が結成されました。さらに昭和12年には全国組織として「日本学校劇連盟」へと発展しています。
昭和10年代には時局に適合した演目の上演が推奨され、戦意を高揚する劇が上演されていたようです。学芸会も学校における一大行事になっていきますが、戦争の激化とともに開催されなくなっていきました。ただし記録による学童集団疎開先で学校劇を上演したとの記録も残っています。
終戦後にはそれまでの抑圧から解放され、学芸会は瞬く間に復活し、学校劇も大きく広まっていきました。

 前回、松原英治『名古屋新劇史』の記述にあった「文部省の通達」とはおそらくこの大正13年の「学校劇禁止の訓令」を指しているものと思われます。
 この「学校劇禁止の訓令」について当時の評価や実効性はさまざまな見解が見られます。さらにいえば、初等教育を念頭に置いて発出されたこの訓令が中等教育現場において同様に扱われたか言及されたものはまだ見つけられていません。とはいえ学校と演劇に大きな影響を与えたのは間違いなく、この通達に関してはさらに掘り下げても良い部分だろうと思います。


2021年の「ハイスクール短編演劇祭」について(開催の見送りのお知らせ)

ご案内
01 /31 2021
  2020年は「ハイタン3」を開催中止としました。
参加予定だった皆さん、観たいと思っていた皆さんには大変申し訳ありませんでした。

 2021年になりましたが、コロナ禍は止まず、表現活動にもいまだ制限が付いてまわります。皆さんにやってもらいたい、観てもらいたい環境を準備するのも以前よりハードルが上がってしまいました。ハイタンについても個人ベースで私が環境を作ることができるか、改めて考えた結果、2021年はハイスクール短編演劇祭の開催を見送ることにしました。

 しかし高校生向けに企画をしている以上、その時高校生でいられる人は限られています。「今」参加したいと思っていた人もいるかもしれません。そこでもし次回ハイタンが開催できるのであれば、本当なら2021年の「今」参加したい皆さんの挑戦も受付したいと思っています。いつになるとは言えませんが、ふと思い出した時、ハイタンという場でできることがあればぜひ、お手伝いをさせてください。

 今年は個人として高校演劇を応援する者としてできることを少しずつやっていこうと思っています。ハイタンの開催を期待していた方には大変申し訳ありませんがご理解いただければと思います。

 ハイスクール短編演劇祭 
 プロデューサー
マユズミヨシズミ


演劇部と野球部のいくつかのお話 ~野球が題材の高校演劇作品をいくつか紹介したり、私の高校野球の思い出を話したり~

高校演劇
01 /28 2021

(2011)青森中央高校 
「もしイタ~もし高校野球の女子マネージャーが青森の『イタコ』を呼んだら」

 私の観劇録はこちらで→ 高校演劇 全国大会(富山総文)3日目 

顧問・畑澤聖悟先生の創作戯曲。言わずと知れた2012年全国大会の最優秀賞獲得作品にして、2010年代でも重要な作品と1つ。アオモリウミダヤマダ高校とか、アーセイコーセイ高校と準決勝、決勝で対戦しましたね。演劇部だと青森中央がそのポジションでは、とメタな感想を持ったりもしました。 


 (2014)岐阜農林高校 「9」 

私の観劇録はこちらで→ 高校演劇2014 岐阜県岐阜北地区大会 

観た時はバックネットが動いたのがインパクトがありましたね。 



(1993)湯本高校「俺たちの甲子園」 

私の出演歴はこちらで→
福島の名顧問作家・石原哲也氏の戯曲。レギュラーになれない部員の姿を描くのは「アルプススタンドのはしの方」と共通しますね。 



(2004)市川東高校 

「Over The Fence -明日へ届け!僕らの白球-」

 私の観劇録はこちらで→  一宮高校の最優秀賞獲得作品「男でしょ」を翻案した作品。女子高から共学に変わった高校を舞台に甲子園を目指す野球部とクラスの男女の対立を描く作品です。



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高校演劇の始まりは何か(前編)

高校演劇
01 /18 2021

 2021年の最初の記事として去年1年気になっていたことを改めて調べてまとめることにしました。


 私は2020年、高校演劇について歴史的な断絶が起こる可能性があるのではないかと危惧していました。コロナ禍で学校が休校になり、大会や発表会が次々と中止になり、高校演劇というものが途絶えるのではないかと思ってしまったのです。もっと言えば表現活動自体が続けられるのかという危惧もありました。

 現時点においては部員の皆さんや現場の先生らが大会や公演、日々の活動をなんとか続けています。また会場や観客が存在し、幸い断絶という事態までは至っていません。演劇もいろいろ問題は起こっていますが、対応して向かおうとしている人達がおり、続いています。

 しかしコロナ禍でなかったとしても、昨今の働き方改革で学校での部活動も形を変えようとしていたところです。いつかは、これまで私たちの知っている高校演劇とは違うものになっていくのかもしれません。その時、高校演劇は誰がどのような形で、どのような演劇をやっているんだろうなと考えました。


 その中でそもそも高校演劇がどのように起こったのかを調べることに思い当たりました。どんな人たちが、どんな思いで演劇を始めたのか。きっと変化、あるいは最悪立ち消えた後で始めることになったとしても何かの手掛かりになるのではないか。このように考えていました。

 まだ手を付けたところなのでまとまってはいませんが、今回はいくつかの文献を紹介しながらまとめの方向性を考えていこうと思います。

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マユズミ ヨシズミ

旅を愛する高校演劇ウォッチャー。
仕事の傍ら名古屋で演劇やってます
(ex.ハラプロジェクト)
ハイタンP(ハイスクール短編演劇祭プロデューサー)
twitter
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